メッセンジャーバッグの歴史と進化:ニューヨークから京都へ
英国の「Royal Mail」などのサービスに使われたメッセンジャーバッグがメッセンジャーたちが手紙や商品を輸送するために使用した袋が起源です。しかし、現代のメッセンジャーバッグは、もともとメッセンジャーのために作られたものではなく、1950年代にニューヨーク・グローブキャンバス社のフランク・デ・マルティーニ氏により電話架線工事夫のために生産されたショルダーバッグがその始まりとされています。
その後、1970年代にニューヨークの自転車によるメッセンジャー会社が、各々の会社を識別できるよう異なった色のショルダーバッグを購入し、メッセンジャーに使わせたことから、メッセンジャーバッグの普及が始まりました。1980年代にはメッセンジャーという職業が全米に広まり、交通渋滞や公害問題を解決する手段として、若者たちに支持されるようになりました。
メッセンジャーの職業と共に彼らのライフスタイルも一般の若者たちに広まり、その結果、メッセンジャーバッグは若者たちから支持されるようになりました。メッセンジャーバッグを製作するメーカーも増え、その中には実用性を追求したオリジナルのメッセンジャーバッグを製造する会社も存在しました。
しかし、2000年代後半になると、ファッション性だけのメッセンジャーバッグを製作するメーカーが増え、メッセンジャーバッグの本来の意味が曖昧になる傾向が見られました。高級ブランドのルイ・ヴィトンなどのスーパーブランドがメッセンジャーバッグを発売などを行うようになり、もはやファッションのひとつの形となっていきました。
その中でも、マンハッタンポーテージは1983年に設立され、その哲学は”New York Tough”、つまり「ニューヨークのタフさ」でした。彼らはアウトドアのバッグに使われるような機能性を持ちつつ、都会的な美学を持ったバッグを目指しました。そして、そのバッグはニューヨークのストリートで信頼され、評価され、ビジネスマンからDJ、そして元々のターゲットであるメッセンジャーまで、広範な人々に愛用されるようになりました。
マンハッタンポーテージの製造哲学は、バッグのデザイン、コンポーネントの選択、そして全体の品質管理の三つによって支えられています。彼らは都市生活者のためのストリートギアとしてアウトドアバッグを再設計し、ニューヨークでバッグをデザインし続けています。また、最高品質の素材を使用し、詳細な職人技術と厳格な品質管理を通じて製品の品質を保証しています。
マンハッタンポーテージの製品は、ニューヨークと台湾の二か所で製造されています。ニューヨークではデザインと主要な部品の製造が行われ、台湾では製品の生産が行われています。これらのプロセスを通じて、彼らは高品質な製品を最高の価値で提供することを追求しています。
そのマンハッタンポーテージを日本で展開する株式会社コードは日本国内でのマンハッタンポーテージの卸と小売事業を展開されています。直営店は現在は7店舗でしたが、今回マンハッタンポーテージ京都を新規でオープン。東京・原宿のキャットストリートにあるFlagship Storeに次ぐ、Manhattan Portage全国2店舗目の路面店となります。 店装は、木目調の棚や土壁、石床や暖簾などをあしらい、京都を意識した和モダンにまとめられており、京都の街並みに溶け込むようにブランドの大切なアイコンである赤いロゴはあえて使用せず、ブラウンやグレーを基調としたストアとなるとのこと。
京都の新たな名物として長く店舗を運営していただければとおもいます。以下、株式会社コードのプレスリリースから画像を引用。