都市と商業 vol.3 都市像の重なりが商業を変える──川崎市、多極・多層のダイナミズム
都市と商業 vol.3|川崎市
工業都市はなぜ“交流都市”へ変貌したのか──再定義される都市と商業の関係
工業地帯の顔をもつ都市に、なぜ駅前モールが栄えるのか。川崎市には、都市と商業が再編されたダイナミックな時間軸がある。東京と横浜という巨大都市に挟まれながら、人口150万人を超える独自のスケールを築いたこの街では、駅前・周辺・郊外という三層の商業が、地域性と都市成長に応じて絶えず姿を変えてきた。
過去──「工都」と呼ばれた時代の商業風景
戦後、高度経済成長期の川崎は、臨海部の重工業群に支えられた典型的な工業都市であった。東芝、日立、日本鋼管といった企業が並ぶベルト地帯は、労働集約型の人口を支え、駅前や商店街には“昼間の人口流入”がつねに続いていた。
この頃の商業は「工場に通う人」「近隣で生活する人」を対象とした、極めて実用的な性格をもっていた。京急川崎駅から八丁畷駅にかけて広がる旧来の商店街や、幸区の小倉・加瀬周辺の業務系集積などには、その名残が今も残る。
現在──再開発と多核型都市構造が描く川崎の“いま”
2000年代に入り、川崎駅前は一気に都市型商業へと転換する。西口には「アトレ川崎」や「川崎ルフロン」、地下には「アゼリア」といった施設が再整備され、東口には2006年に「ラゾーナ川崎プラザ」が開業した。
ラゾーナは、旧東芝堀川町工場の跡地に立地し、都市型モールの文脈で“外から人を呼び込む”施設へと進化した。いまや川崎駅周辺は、広域商圏型のモールと、地元向けの日常商業が共存する複合的な都市商業空間となっている。
さらに武蔵小杉では、「グランツリー武蔵小杉」などの生活密着型商業と超高層住宅が一体で開発され、「住まい・交通・商業」が統合された都市が実現した。東急・JRの2社によるトリプルタワー開発のもと、“首都圏の住居需要を吸収しながらも川崎の商業地として成長する”という新たな都市像が描かれている。
溝の口駅周辺では、マルイファミリーやノクティなどが地域密着型の商業施設として機能し、多摩川以北における商業の要となっている。新百合ヶ丘においても、住宅開発と一体で形成された駅前商業が成熟しており、小田急系の「エルミロード」などが地元ニーズに即した施設運営を展開している。
郊外・生活圏型商業──“住まう都市”としての機能強化
川崎市は、政令指定都市の中でもっともコンパクトな面積ながら、最も高い人口密度を誇る都市である。日常の消費を支える生活型商業もまた、極めて多層的に分布している。
たとえば「イトーヨーカドー川崎港町店」や「イオンスタイル川崎」などは、都市中心部からほど近いにもかかわらず、車利用を前提とした大型商業施設として地域の生活を支えている。
また、加瀬・小倉・矢向といった幸区西部には、物流センターや卸売業と共存するかたちで、業務用スーパーや生活物販を中心とした小商業が点在しており、都市近接の労働人口を対象とした“職住近接型消費地”として独特の空気を保っている。
未来──多様な都市像を内包する「川崎型都市商業」へ
川崎市における商業の進化は、単なる再開発の物語ではない。それは、工業都市というレッテルを引き剥がし、交流都市・住宅都市・文化都市という多面性を帯びた新たな都市像を築くプロセスでもある。
再開発が進む東芝川崎事業所跡地では、住宅・商業・業務が一体化した街区開発が進行中だ。インバウンド需要の回復も見据え、都市間競争を超えて“川崎らしい多様性”が都市空間と商業構造の中に再構成されつつある。
川崎には、ひとつの都市像に収まらない多面性がある。そしてこの多面性こそが、いまの時代における都市と商業の理想形を探る上で、極めて豊かなサンプルを提供してくれる。