複眼都市・さいたま──大宮・浦和・新都心で描く商業の現在地と未来
都市と商業 vol.5|さいたま市
東京副都心と向き合う都市──大宮と浦和、“二つの顔”をもつ商業構造の現在地
さいたま市は、首都圏でありながら独立性を保つ稀有な都市である。東京都心から30km圏内にありつつ、県都としての行政機能と広域交通の結節点を備え、商業構造は大宮と浦和を中心に独自の展開を見せてきた。しかし近年、この都市の商業には“再構築”の兆しが現れている。それは東京副都心(池袋・渋谷など)との重層的な関係を背景にした、需要の再編である。
商業の地層──合併と鉄道都市の歴史が生んだ二極構造
さいたま市が成立したのは2001年。浦和・大宮・与野の合併によって生まれたこの都市は、誕生当初から“複眼都市”としての性格を内包していた。特に大宮は、戦前から鉄道の要衝として発展し、国鉄の主要拠点であった歴史を背景に、民間商業も駅前を中心に発達。百貨店や総合スーパー、飲食・娯楽施設が戦後一貫して集積してきた。
一方、浦和は文教都市・県政の中心としての性格を色濃く残しており、個人経営の専門店や老舗飲食、地元系の百貨店(伊勢丹)などが、地場型の消費を支えてきた。さいたま市はこのように、「広域を吸収する商業都市」と「地元に根差す行政文化都市」の二極が合併して誕生した都市であり、その商業の構造にも複層的な文脈が刻まれている。
大宮──“埼玉の副都心”から広域集積拠点へ
大宮は長らく“埼玉の顔”として機能してきた。新幹線を含む複数路線が集中するハブ駅であり、大宮駅周辺にはそごう、ルミネ、マルイ、ドン・キホーテ、再開発中の大宮門街(おおみやかどまち)などが集積し、週末には周辺市町村からの来街者で賑わいを見せる。
2019年には、そごう大宮店の一部売場縮小が話題となり、“百貨店の再定義”という命題が表面化した。都市規模に対して過剰だった百貨店モデルが、駅ビルやモール型に再編される動きが続いている。
一方、再開発では「大宮駅グランドセントラルステーション構想」が進行中で、国際会議場やホテル、文化施設を内包する複合都市拠点へと進化する見通しだ。これは商業の再整備というより、都市空間全体を巻き込んだ“都市機能の複層化”に他ならない。
浦和──地元性と行政中枢の共存する商業地
一方の浦和は、県庁所在地としての行政機能を担いながら、駅前には伊勢丹浦和店やアトレ、パルコ、コルソなどの商業施設が並ぶ。大宮が広域からの集客を担うのに対し、浦和は“日常性と文化性”に軸足を置いた都市商業を形成している。
再開発では、浦和駅西口の再整備が進行中であり、高層住宅と駅前広場、商業の共存が図られている。人口流入の多い文教地区という側面もあり、「地元に根差した消費」の中心として成熟した姿が見られる。
さいたま新都心──三極化する都市構造の結節点
この二極構造の中間に位置するのが、2000年代初頭に官民主導で開発された「さいたま新都心」である。旧国鉄操車場跡地を活用し、合同庁舎・企業オフィス・コクーンシティ(ショッピングモール)・アリーナなどが一体となった複合都市拠点として成立した。
ここでは商業が単体で機能しているのではなく、行政・文化・業務と“共存”する空間のなかに商業が溶け込んでいる。これは、さいたま市全体が志向する「都市の自律的生活圏化」の縮図とも言える。
池袋・渋谷との関係性──マストランスポーテーションの“先にある商業”
さいたま市の商業を考えるうえで、無視できないのが東京副都心との関係である。とりわけ大宮は池袋と、浦和は渋谷と鉄道で直結しており、消費者の“選択”は常に東京との間で揺れている。
歴史的に、さいたま市の経済は東京に通勤・通学する労働力の供給基地として機能してきた。昼夜間人口比率は8割を切り、“働きに出る都市”であったが、近年はリモートワークの普及や、都内の商業混雑回避によって、地元消費が相対的に活性化している。
これは、東京との競合というより、“あえて地元で消費する理由”を商業側が提示できるかという問いであり、逆に言えば大宮・浦和・新都心の三拠点は、都市機能の自律性を高める回路となりつつある。
都市が自律するとは何か──複眼都市・さいたまの商業が向かう先
さいたま市の商業は、単なる施設の集積でも、東京の延長でもない。広域交通と行政機能を軸に、地域拠点都市としての成長を遂げてきたこの都市は、今後、三つの極(大宮・浦和・新都心)がいかに接続され、商業と生活を結びなおすかに注目が集まる。
そしてその構造の根底には、「消費を都市に引き止めるだけの意味」が問われている。自らの街で過ごす時間を豊かにする仕掛け、都市内で生活が完結することの快適さ──。
さいたま市はいま、“都市が自律するとはどういうことか”という問いに、最もリアルに向き合っている都市のひとつである。